ついつい脱線してしまった。
いや、私に言わせればそもそも本線が “ICCコーチングのWEBページを見ながら私が思ったつれづれを書く”だから何だっていいのか・・・。
私に言わせれば。この箇所を書いているときにも同じようなことを考えた。
“コーチング 使えない”で検索するとまあ出るわ出るわそのテーマが。
がそれらの記事をしっかり読んでみると、コーチングが使えない状況、使えないテーマ、使うべきでないトピックなどなど、あるフレームに基づいて書かれているものが大半である。
それはいい。話の範囲が明確でわかりやすい。
気になるのはごくまれにヒットする噂話レベルの感想、印象の文章だ。
さて、いまから当たり前のことを2つ言います。当たり前すぎて「へ?」となるかもしれない。
一つ「すべての言葉は誰かが発したものである」
ココに書いてある文章は私佐々木が発したもの。
小説は作者が発したもの。
ニュースはその原稿執筆者が発したもの。
そして「“コーチング”は使えないらしいよ」という噂も誰かが発したものである。
一つ「人の発した言葉はすべてある種のステートメントである」
コーヒーが飲みたい、もステートメントである。
明日は晴れそうだな、もステートメントである。
人は思いやりを持つべきだ、もステートメントである。
そして「“コーチング”は使えないらしいよ」ももちろんステートメントである。
当たり前のこと。しかし、人間が生きていく上でとても大切なことでもある。
毎日目にする数万後の文章。それは誰が発したものなのか?
街の声などない。世論などない。
街の声、世論として提出された言葉は「誰か」がある意図の元まとめて発したステートメントである。
NLPの枠組みで言うなら、ステートメントは「信念」と言い換えてもいい。
ここでいう「信念」とは、その日本語から想像するような重さはない。
NLPで扱う「信念」とは“その人が信じていること”である。
先に挙げた4つ、コーヒーが飲みたい、明日は晴れそうだな、人は思いやりを持つべきだ、
「“コーチング”は使えないらしいよ」はあるレベルですべて「信念」と言ってよい。
「信念」は人が生きるためのガイドである。人は自分の信じているように生きる。
では、人に「“コーチング”は使えないらしいよ」というステートメントを発するに至らせたものは何か?
答えは分かっている。「何らかの経験」か、「誰かの受け売り」かの二つに一つ。
それがNLPの雄、ロバート・ディルツ氏が言うところの「信念」の二つの種類に相当するからだ。
・・・そろそろ続くにしようか。長い文章は読みづらいだろうし(ステートメント)。
今回の私の結論。