「今あなたの身体で居心地の悪いところはどこですか?」
そう訊かれると途端にもぞもぞ動きだす場所があると思う。
私たちは姿勢が窮屈だったり同じ姿勢を続けて疲れてくると、勝手に心地よい体勢を求めて身じろぎする。つまり「心地よい」というメリットを求めて無意識的に体を動かしている。
ほら、そのメリットに気づいているかどうかは別にして、あなたの今の体勢だってそうだ。頭をかく、足を組む、アゴをさする、咳払いをする。すべて何らかのメリットがあってのことだ。
人に親切にすること。子供をいつくしむこと。
貧乏ゆすり。爪をかむこと。
一所懸命働くこと。友情をはぐくむこと。
食べ過ぎ。飲み過ぎ。
スポーツに熱中すること。映画を楽しむこと。
ギャンブルで有り金をなくすこと。制限速度を超えて車を走らせること。
勇気を燃え上がらせること。再起を誓うこと。
必要以上に心配すること。必要以上に悲しむこと。
コーチングが役に立つと信じること。
コーチングは使えないと信じること。
すべて、その人にとってのメリットがあるからそう行動し、そう信じるのである。
このあたりの機序は交流分析がうまく説明してくれている。
なぜ何度も何度も同じパターンでいやな感情を味わう人がいるのか。
なぜ明らかによくない結末が待っていそうな行動をとる人がいるのか。
それは、その人が持っている自分に対して、他者に対して、そして世界に対しての理解が正しいことを証明するためだという。
自分がいかに無価値な人間であるかを証明するために失敗し、
他者がいかに無分別な存在であるかを証明するために相手を怒らせ、
世界がいかに無慈悲な場所であるかを証明するために破滅するのだ。
なんという恐ろしいことだろう。
しかしどんなに恐ろしいことであっても、人は自分が正しいことが証明されれば嬉しいものなのだ。
自分は無価値で、他者は無分別で、世界は無慈悲と信じている人。
でもどこかで「そうであって欲しくない」と願っている人。
自分には価値があって、他者はやさしく、世界は素晴らしいと信じたい人。
さあコーチ、出番だよ。
この人が暗黒の信念の内に秘めていたメリット=価値観を汲んだ新しい信念を創造してもらうんだ。
今回の私の結論。