男性の脳は生物学的に目標追求型なのか? 私には分からない、そんな研究がなされているかも知らない。
別に生物学的要因に頼らなくたって、男のそういう性向に影響を与えているだろうものは想像できる。文化、社会からの期待、教育、時代精神などなど。
そういったことはおいておいて、
なぜ私たち男性陣は女性の悩みを聴いてあげられないのか(一般化)。
それどころか、なぜ一足とびに悩みの解決策を示すことで
「ヒロくんわかってない。私のことわかってないよ!」「お、おいジュン!」バタン
となってしまうのか(過剰一般化)。
そういうわけで次のくだり。
・悩みを打ち明けたら最初の一歩を訊かれた
(慰めてほしいだけなのに・・・)
耳が痛い。
「時間の構造化」に照らせば、被害者「暇つぶし」とエセコーチ「活動」のミスマッチが起きているというのは前回記事のとおり。が今回は違うTAの視点で眺めてみよう。
この二人、
いる場所は同じでも「存在している時間」が違うのだ。
また時間ですか。そう、TAから「時の経過」という概念が抜け落ちると通俗心理学に堕してしまう。
ここで言う「時間が違う」とは、「暇つぶし」と「活動」という時間の構造化のミスマッチの事ではない。エセコーチは現在にいるのに対し、被害者は過去にいるのだ。
被害者が「こんな悩みが……」と打ち明け話をしていた時、おそらく彼/彼女は子供時代のある年齢のときの感情と考えと、そして話し方、表情、態度、雰囲気、ジェスチャーを取っていたであろう。
それは子供時代の「あの」感情、思考、行動の再現だと言える。
そして被害者は相手に対して、
「え~なになに?」と子供のように興味を持って欲しかったはずであり、また「大変そうね、私でよかったら聴くわ」と親のように理解を示して欲しかったはずである。まさに自分が「あの」子供の頃のように。
だがエセコーチは現在にいた。
今ここに存在する、暦年齢の、目標を達成するために感じ、考え、行動する一個人であった。
「解決するためにまず何から始めればいいと思う?」
過去の「あのような」共感と理解を夢見た被害者は、エセコーチの質問によって現在に戻ってこなくてはならなくなる。望んでもいないのに。
「コーチングも同じ。ある枠組み、フレームの中で働いてはじめてその最大限の効果を発揮するというもの。」
質問はクライエントを過去にも未来にも連れていける。が、まずはクライエント、コーチ双方とも「今ここから始めましょう」というフレームにいるはずだ。
だからコーチングは「交差交流」に縁がない。
だからコーチングは「今日はこのセッションで何を扱いたいですか?」から始まるのだ。
今回の私の結論。