よしゴールは決まった。そのゴールを目指す意味も、自分を支える価値観も明らかだ。
コーチングは行動を伴うもの。考えているだけでは始まらない。いつ、何から始めるかさっそくスケジューリングだ。
子供の頃からの夢、それがついに叶う時が来た。ありがとうコーチ! ありがとうコーチング!
家族を捨てて、パリに画家修業にいくぞ!
まてまてまて(飛龍革命風に)
これは極端な例なので分かりやすいと思う。だが、コーチング=目標達成にとらわれていると落ち込む陥穽かも知れない。
人はコーチングのみに生きるにあらず。クライエントは自分を取り巻く巨大なシステムの一部である。コーチングというシステムの中で整合性が取れていても、それ以外、家庭、仕事、経済、地域社会などのシステムに悪影響を及ぼしはしないか?
それがNLPから来た「エコロジー」という考え方である。
クライエントが影響を与えるシステム全体に配慮する視点である。
エコロジーを共慮しないでゴールに向かってしまった場合、自分や他者にとってよろしくないことが起こるよ、というアイデアをICCは取り入れている。
だからゴール設定の時点で、エコロジーをチェックするのだ。
例えば「家族を捨てて、パリに画家修業にいく」というゴール。
この人生の変化がクライエントの人間関係、家族関係と調和しているとは思えない。
後で後悔するような気がするし、残された家族をひどく傷つける行動に自分を「強制」する気がする。
これがウェブページに書いた「ゴールを達成した幸せでないあなた」という意味だ。
ゴール達成のためにクライエントが “大切にしている何か”を無視するとしたら。無意識がその不整合感を抱え、心身の健康や「何か違うんだよなあ」という不一致感として現れるだろう。
もちろんこれはコーチの所見でクライエントの実情と違うかもしれない。コーチができることはエコロジーについての質問や、そのゴールが引き起こしそうなエコロジー上の問題についての示唆である。
これらの質問や示唆は、クライエントに自分のアイデンティティついて考えさせることになる。つまり、
家族を捨てて、パリに画家修業にいくことは“あなたらしい”ですか? という問いだ。
この“あなたらしさ”という問いに人は立ち止まらざるをえないだろう。
コーチングは科学でありまた芸術でもある。そして芸術面の最たるものがこのような実存的な問いとなって現れる。ゴールを設定するだけでもなまなかなものではない。
今回の私の結論。