明日は研修会なので特に朝が早い。しかも自分が講師として登壇する回だ。
心身を整え、しっかり休息を取り、本番に備える。演者としてそうすべきだし、私自身そうしたいと思っている。
さあそろそろ休もう。読みかけの本を閉じる。
明日はどんなメンバーかな、どんなワークショップにしようかな。
そんな充実感を先取りした現在午前二時。
午前二時!? しまった、またやってしまった!
「・・・そんなことが結構ありましてね。何とか夜更かししないようになりたいです」
もうだいぶ前のことだが、コーチングセッションで取り上げた私の課題である。
私は本が好き、読書が好きだ。いつも何かしらの本を持ち歩いている。多分今日は読書の時間は取れないだろうな、という日でさえ文庫本を携えているくらいだ。
すばらしい書籍はすばらしい読書体験をもたらしてくれる。
「え、もうこんな時間? キング・クリムゾンの攻撃を受けているのか?」
あなたも経験があるだろう、読書に没入した時の時間が消し飛んだ一瞬/永遠な感覚を。
ただし、そういった書籍を私が読み始める時間が問題なのである。
ついつい、ふらふらと、日付が変わった頃に読み止しの本を手に取ってしまうのだ。
結果として、したくもない夜更かしをしてしまうというわけ・・・。
信頼のおけるコーチ仲間である。まずはセオリー通りにセッションは流れていく。
「夜更かししないようにする」を肯定表現に言い換えると?
・・・毎日適切な時間に寝るようにする、かな。
適切な時間って具体的には?
・・・日によって変わるけど、少なくとも0:30には寝床に入っていたい。
佐々木さんは何を大切にしているから「適切な時間」に寝たいんですか?
・・・睡眠時間は質のいい休息と関連していると思うので、自分の健康のためかなあ。
割愛するが、私のゴールは整えられ、ゴール達成を支える信念やその背後にある価値観に気づき、現実的に可能な計画とその計画を忘れないようにする仕組みも設定し・・・。
居心地が悪くなってきた。
そもそも私にとって夜の読書はとても大切な時間だ。押井守風に言うなら、社会人や家庭人としての模擬人格から私個人として生きる固有時への移行である。
そう、独りの時間というものにも代えがたい価値がある。それを休息の質と引き換えにすべて放棄してしまっていいのか?
夜更かしと言ったって連日連夜のことでなし。たまに予期せぬ午前様があるというだけで、夜読書したっていいじゃない。
つーか夜更かしして何が悪い。
「今日は夜更かしするぞ!」と覚悟して読書したっていいじゃないか。そして次の日はいつもより早く寝ればいいじゃないか。
「コーチ、この課題、解決しました」
夜更かし読書はしたい時にする。夜更かし読書したら翌日は早く休む。
ザッツオール。それだけのことだった。
私がセッションの途中で感じた「居心地の悪さ」、それが内的エコロジーの不一致感である。
仮に「毎日適切な時間に寝るようにする」というゴールを目指して行動計画を立てたとする。予想できるのは計画どおりに行動しない、もしくはなんとなく不満足感を持ちながら行動して幸せでなくなる。こんなところだろう。
「適切な時間の就寝」と「自分一人の時間を過ごす」。その背後の価値観を探っていけば合致する場所は分かっている。「幸せ」である。
結果、今現在の私は自分の幸せのために夜更かしして、自分の幸せのために早めの休息をとる時もあるのである。
今回の私の結論。