「そうか、直観を働かすにはまずはリラックスすること。過度な筋肉の緊張を避けることか。よーしリラックスするぞ~」
・・・
・・・
「あ~仕事のこと考えちゃったな。ちょっと左腕が緊張している。力を抜いて、と」
・・・
・・・
「なんで力んじゃうのかな。ただ寝転がってリラックスすればいいだけなのに。寝方がいけないのか、寝ている場所がいけないのか・・・」
お前は今までの話を聴いていたのか?
ガンバレばガンバルほどできないものが睡眠とリラックスだと言ったではないか。
しかし無理もない。これこそがセルフ1が私たちの持っている動きの優美さ、無意識のリソースを削ぐ主たる方法、内的対話である。
内的対話は私たちの注意を外の現実から内側の空想の世界に向けさせる。
それが自分を元気づけるものか、いやな気分にさせるものか、それは問題ではない。単に内的対話は私たちの気を散らすのだ。
「リラックスするぞ」
「力を抜いて」
「なんで力んじゃうのかな」
これらの内的会話はあなたがしようとしていること=リラックスから注意を逸らす。すべて自分に関しての言説なので当たり前だ。
つまり自意識過剰にしてくれるというわけ。
しかも「いやな気分にさせる内的対話」は自分の中の<コントロールする親の自我状態>から<従順な子供の自我状態>に発せられるコミュニケーションである。
あなたはあの時の、あの子供の時の身体にもどってやるせない、情けない想いをすることになる。何かの目標に向かって生産的な活動ができるとは思えない。
ではどうすれば?
人間は一度に一つのことしかできない。
自分の内側に注意を向けたくなければ、外側に向ければいい。
世界にコンタクトを取り続ければいいのだ。
いまここで何かを表現し続けているクライエントに意識を向け、いままで身の内に蓄えたリソースが応えるのを待つ。そのようなコーチングがあってもよい。
というかコーチングに限らず達人は皆そうしているはずである。
今回の私の結論。