「どうして勝てないと思う?」とモーフィアス。
「速すぎる……」とネオ。
ここはコンピュータプログラム内のバーチャル道場。「カンフーを覚えた」というネオを圧倒するモーフィアス。二人とも同じ「カンフー」というプログラムをダウンロードしているはずなのに、なぜこうも差が?
その秘密はモーフィアスのセリフによって明かされる。
「速さや戦闘技術の差は、私と君の肉体の差か? この仮想空間で」
しりもちをつき肩で息をするネオ。いぶかしげな表情で見上げるとモーフィアスはさらに問いかける。
「君が呼吸しているのは酸素か?」
ネオの顔に気づきが走り、瞬間、乱れていた呼吸が収まる。
あくまで仮想空間、あくまでバーチャルなネオとモーフィアスの戦いで、二人の強さを分かつもの。
それは「自分に対する制限」だ。
自分の動きの速さはこれくらい。
自分のスタミナはこれくらい。
自分の強さはこれくらい。
自分で自分の限界を決めていたことに気づいたネオ。本来なら想像力の限界まで能力を発揮できるのに、だ。だから第二ラウンドはモーフィアスを圧倒する。
だが次は高層ビルから高層ビルに飛び移るプログラムだ。のぞきこめば道路まで何百メートルという高さ。プログラムだと分かっていても怖気づく。
が、モーフィアスは軽々と跳んでみせる。「心を解き放て」とアドバイスして。
続く我らがヒーロー、ネオは、地面に落っこちた。
跳ぼうと思えば跳べる。だってプログラムなんだし、自分の能力はいくらでも表現できる。だが、「無理だ」と思ったとたん無理になってしまうのだ。
仮想空間から帰ってきたネオは口に痛みを感じる。怪我をしているのだ。プログラムのはずなのに。仲間はこう答える。
「心が真実だと思えば真実になる」
まさに信念について表現している名シーンだ。
信念とは真実ではない。だが信念を真実だとして生きると、信念は真実になる。
「私にはそこまでの力はない」という信念。
信念は生きるためのガイドである。だからこの人は信念のとおり、自分の予想された能力の限界内でしか力を使わないであろう。というか、無意識的に力をセーブするであろう。
自分の限界を知るには限界にぶち当たるよりほかはない。
そして、原理的に限界にぶち当たることはできない。
なぜなら、その限界が本当の限界かどうかは判定の仕様がないからだ。
その後、ネオは飛んだ。モーフィアスは名コーチだったのだ。
今回の私の結論。