過去記事
【第一回】もし接骨院の院長が「人前でのあがり克服」にサイコセラピーのアプローチを学んだら
おーい澤畑。
いないのか。・・・そうか、
明日が本番か。いまごろテキストにあれこれ書き込みでもしてるのだろう。
これだけ多角的に「あがる」ということを見てきたんだ。もう効果は十分だろう。
・・・まあ、これは独り言だが。
自分のことが大好き!という人がいる。とてもいいことだな。
だがその表明には本人も気づいていないエクスキューズがくっついていることもある。
例えばこうだ「自分のことが大好き!(ただし〇〇以外)」。
この〇〇が「影」なわけだが、影には影の言い分がある。よい意図がある。
今回の段でいうと、澤畑の影はあがらせることで講師として万全の準備をさせようとしていた。
だが、そういう影をないがしろにしたり、邪険にし続けるとどうなるか。
親を振り向かせたくて万引きをする子供がいる。
承認の足りない有能な社員がサボタージュを行う。影も同じだ。
本体にとっての是非はともかく、良かれと思ったその意図をないことにされたらどうなるか。
「ここに影がいたか」と本体が認識するまで、とんでもない不手際を出来させるだろう。
それぐらい無意識は力強い、と人間性心理学は考える。
では我々はどうすればいいのか? かんたんなことだ。
影に気づいたらねぎらえばいいのだよ。
「お前のすることで俺は困ってるけど、お前は何かいいことをしようとしてるんだろ?」
「それはなんだかわからないけど、いつもすまねえな」と。
罪を憎んで人を憎まず、否定的行動を憎んで肯定的意図を憎まず。
さすれば影は本体にとってもっと受け入れやすい形で肯定的意図を達成しようとするものだ。
お母さん話を聞いて、と子供が言うように。もっと認めてください、と有能な社員が言うように。
独り言が長すぎたな。佐々木啓はクールに去るぜ。(スタスタスタ・・・)
先輩・・・。
澤畑伸一郎
「痛みだけでなく、弱みまで克服する接骨院」上水戸接骨院・整体院院長。佐々木の後輩。明日の講義では伝説のスイングを見せる(当たるとは言ってない)。
(フェイクエンディング)