「反省しま~す」
とそれらしいしおらしさを見せるコケ柱(長女8歳)。
繰り返しになりますが、○○しっぱなしの達人で、注意しても学ばず、言った言わないの水掛け論が大好きで、分が悪くなるとしらを切り、自分に正当性があると分かればかさにかかって追い詰めてくるコケの呼吸の使い手・コケ柱です。
この日何度目かの「やると言ったのにやらなかったこと」(やらないと言ったのにやっちゃったことだったか)を妻が注意しています。でもコケ柱は反省しません。反省していたら二度目はしょうがないとして、同じことを三度繰り返すはずがありませんから。
「反省しま~す」
すでにしおらしさはなく、関心はどうやってこの場を乗り切ろうかというだけのようです。
そこに通りかかった私。
「コケ柱、反省っていうのは悲しそうな顔をしてシュンと落ち込むことじゃないんだぞ」
反省、大事です。
自分の言動を省みて改められることがあるかどうか考えること。
昨日より今日、今日より明日。よりよい自分に向かって成長していく意思。
とても良いことだと思います。その意味の通りならば。
私たちは子供の頃から親に、先生に、指導者に「反省しろ!」と言われ続けてきました。そして、自分の体験を振り返ってみると、彼らの言う反省とはどうやら「静かに落ち込むこと」だったように思います。
反省=落ち込むことと教育されてきた私たちは、悲しい顔をして小さくなっていると追及を免れることができました。そして「反省」していないのでまた同じことを繰り返すのです。
その悪循環を私が断つ! とばかりに私はコケ柱に質問します。
「じゃあ同じことでママに叱られないためには何をしたらいい?」
「……ほうほうなるほど。帰ってきたらすぐ洗濯機に入れるわけね。でもそれを忘れちゃうんじゃん。それを思い出すために何ができる?」
「……玄関に? まあいいかな。じゃあいつから始めようか」
すくなくともコケ柱に落ち込んでもらいたくはありません。真の反省のためには心身の良い状態が必要不可欠でしょうし、叱られて悲しみ落ち込んだ状態でよい考えが湧くとは到底思えません。叱るのは叱る、そして全く違う状態で真の反省をしてもらう。
そうでなくては私や妻の身が持たない!(笑)
後日。
「パパ、パパ、この前約束したことやってママにも褒められたよ!」
満面の笑みのコケ柱。
「それは良かったね。何に気をつけたからうまくいったの?」
「これからも同じことをするためにはどうしようか」
さらに燃料を投下してコケ柱の状態を維持しようと必死な私。もう同じことで叱りたくないし、叱るのはこちらも悲しくなるし、それはコケ柱は笑っている方がいいよ。