昼休み、ランチの前に太極拳をするようになって早二年以上になります。完全に習慣化しました。
場所はチーム医療ラーニングからほど近い児童公園。お弁当を楽しむ女子やスマホ片手に商談中の会社員の邪魔にならないよう、ソーシャルディスタンスを保ちながらひっそりとやっています。
もともとあまりドタバタすることのない太極拳は、比較的人に迷惑をかけないレジャーです。認知度もあるので怪しまれてもいない……はず。
早春の木漏れ日の下や、初秋の透き通った空気の中、無心に行う太極拳は最高のリフレッシュ方法です。ランチもおいしくなるし。
さて太極拳。ご存じの通り柔らかくゆ~っくり動き続けます。動作にも順番があります。そして動作ごとに細かいお約束と呼吸の仕方が決まっています。初心の頃は動作の正確さや順序を追っていくのに精いっぱいで、仮に動きは柔らかくともあくまで「太極拳もどき」です。
練習を続けていくと動作の順番や呼吸の仕方は体にしみこみ、お約束だけを追っていくことができます。でも意識はお約束にとらわれています。このお約束はなかなかに複雑なので、考え考え太極拳をする期間は長いものになります。
あるとき上達したり、またある時は考えすぎて下手になったりと、一進一退を繰り返し太極拳の修行は続きます。ここまで続ける人も一握りだと思いますが。そして飽きることなく正しい修行を続けてきたある時、
「いま何も考えずに動いていたな」
という体験をすることになります。順番はめちゃくちゃ。それどころか型で決まっている動作も自分勝手なものです。しかし太極拳の原理原則に限りなく沿っている。それは「太極拳」です。
しかし「いま何も考えずに動いていたな」という気づきはその体験の外に出てしまったということ。振り返ると何とも言えない柔らかく気持ちの良い感覚が残っています。それは「太極拳のことを考えながら行っていた太極拳」から得られるものとは全く違うものです。
技は技であることをやめた時に技として完成する――鈴木大拙
ただ一心に太極拳を行う。太極拳のことを忘れるくらい太極拳を行う。修行の足りない私にその至高体験が訪れたのは今までに二回。とほほ。
あの誰かに動かされて完璧な太極拳を行った感覚は、ここでいう「インナーセルフが開かれ世界とつながった」と同じことなのでしょう。
寝よう寝ようと思っても寝られず
リラックスしようリラックスしようと思ってもリラックスできず
開こう開こうと思ってもインナーセルフは開かないもの。
「杉田塾~どうしても人を許せないとき編」に照らせば、まずは「自分は何者かによって愛されいるという確信を抱き、その世界に自分の心を休ませること」からなのでしょうね。