話がぐぐっともどる。
このウワサを信じる人にもそれなりの理由がある。
もしも体験を通して形成された「信念」ならば、多分 “コーチングスキルを身につけた暴漢”に書いたように、
何気ない会話の中でいきなり質問されたり、
悩みを打ち明けたら最初の一歩を訊かれたり、
答えが必要なので質問したら質問し返されたり、
日常会話のフレームでめんどうくさい目に遭わされたのだろう。
「質問を質問で返すなあーっ!!
疑問文には疑問文で答えろと学校で教えているのか?」
心の吉良吉影が吠えていたかもしれないですね。もうお気の毒様としか言いようがない。
では、何らかのアイデアがやって来て信念化した場合は?
周りに上記のような体験をした方がいて、その体験談を聞かされたとか、
信頼している人がそのように言っていたとか、
よくは知らないけど偉そうな人のWEBサイトに書いてあったとか、
このあたりが想像できそうだ。
というか、何を信じてたっていいんです。
自分にとって役に立ち、他者や世界に迷惑をかけない「信念」なら「コーチングは使えない」だって一向に。
だから私の信じていることは、
である。
この「信念」は<思考のウイルス>ではない。私の実際の経験を通して獲得したものだ。
もちろんこれとて特定の状況の特定の体験を一般化したものに過ぎない。
だがこの「信念」は私に力を与える。
私がコーチングを受けて達成した成果を誇れるし、
コーチとして関わったクライエントの能力を引き出すし、
ICCのトレーニングを何の衒いもなく“素晴らしい”と紹介できるというもの。
これが私のステートメントである。
「信念」は真実ではない。が、それを真実として生きれば真実になる。
人は「信念」に合致した状況、体験、想い、現象を受け入れ、それ以外の事象はたまたまの例外として排除するからだ。
だからICCコーチングではクライエントの「信念」を大切に扱うのだ。
そしてICCのコーチは人が能力を発揮することを止めている「制限する信念」に気づき、その代わりに何を信じたいかをクライエントとワークできる。
そんなトレーニングがあるのも、ICCを設立したのが世界的NLPトレーナー、ジョセフ・オコナーさんである以上当たり前のことなのだ。
今回の私の結論。