“進化”の反対概念は“退化”ではない。
例えばクジラ。
すべての生き物は海から生まれ、やがて陸上に進出した。そしてクジラのご先祖様は陸上からまた海に戻ったクチである。
現在、クジラの前肢は魚のひれのように変化して、後肢は退化して外見上無いように見える。あったものが無くなる、すなわち“退化”。しかしそれは前肢後肢だけを見た場合の話だ。
水中生活において前肢後肢の本来の機能が必要でなくなったから“退化”した。それはクジラにとっては水中生活がしやすいように“進化”したことになるではないか。
“進化”の反対概念は“退化”ではない。
よりよい、効果的な、役に立つ、楽しい、パワフルな、そんな肯定的な方向に変化しないこと=“停滞”と言っていいだろう。才賀勝くんも同じような考えだった。
同様に “好意”の反対概念は何だろうか。
それは“敵意”だろ。
いやいや、クジラの例のように一段高いところ、メタから見てみると“好意”も“敵意”もこちらに関心を持っているという点で同じカテゴリーだ。
というわけで私は“好意”の反対概念は“無関心”だと思う。
このブログも“好意”であれ“敵意”であれ、何らかの関心を持ってもらわないと読まれもしない。無関心 is 恐ろしい。
この文章がそれこそ均一なるマトリクスの裂け目の向こうへ行っちまうだけでなく、
「コーチングなんて使えないものをどんな宣伝してやがるんだ」から
「真に使えるコーチングを求めて案内を読んでみようと思う」まで、
少なくともコーチングか私の文章、もしかしたらその両方に関心を持ってくれているあなたのどこかに触れて、軽くゆさゆさしていることを望むしだい。
今回の私の結論。