木から落ちたリンゴを見て
「このリンゴに働いている力、もしかして星と星の間に働いている力と同じなのか!?」
と着想する人がいる。
とんでもない崖を眼下にしながらもそこを渡る鹿を見つけて
「鹿も四足、馬も四足。鹿に通れて馬に通れない道理があろうか!」
と突撃する人もいる。
このようにリンゴや鹿という特定の例の背後にある一般的原則を発見するのが早い、いわば一般化が得意な人たちがいる。一見ランダムに見える現象からパターンを導き出すのも得意だろう(鹿の件は無理筋のような気が)。
繰り返しになるが、一般化は人間の自然な思考方法である。
私たちに楽をさせてくれる脳みそのありがたい機能である。
ただ、一般化の危険が落とし穴は二つ。
一つ、私たちが珍しい、もしくは典型的でない体験から一般化して、将来もこの例が適合すると考えるとき
一つ、適切に一般化して信念やルールを形成するが、例外に注意を払わないとき
である。
私にはできない。
私には才能がない。
私はいつも失敗する。
私には不可能だ。
だれも私を応援してくれない。
みんな私を嫌っている。
世界は悪意に満ちている。
コーチはこれら不適切な一般化の狩人である。
クライエントの話やその表現から、クライエント導き出した一般的原則やパターンを狩り立てるのだ。
不適切な?
もちろんクライエント当人にとって、クライエントがコーチングセッションに持ってきたゴール達成に対して、だ。
ここに挙げたクライエントからパワーを奪うステートメントの数々は、つまり自分、他者、世界に関する信念である。
信念は誰から信じろと言われたわけではない。
寝ている間に首筋に注射器を刺され「○○を信じろ~」と注入されたわけでもない。
信じたいから信じているのだ。
だから信じたくなければ信じなければいい。
正確に言おう。
あなたに力を与えてくれる、別の信念を信じればいいのだ。
「はい、じゃあ○○を信じなさい。123ハイ!」
こうはいかない。なぜなら人がある信念を信じるにはそれなりの理由があるから。
それこそにわかには信じられないだろうが、
「それを信じることによっていいことがある」から信じるのである。
何かいいことがあるから「私にはできない」と信じているクライエント。
ではコーチに何ができるのか?
今回の私の結論。