視点を切り替える、別角度から見てみる、考え方を変えてみる。
そんなアイデアの結晶体に出会ったのは中学の頃。
その年頃の男子生徒のご多分に漏れず、SFやファンタジーを乱読していた私が、ふと手に取った本。それがアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』だった。
なんだ、ぜんぜん悪魔と関係ないじゃないか。
古今東西のソウイウモノの辞典だと期待した私はがっかりしたが、そのたたずまいに何かを感じ、なんとなく購入してしまった。
『悪魔の辞典』という書名がつけられた意味はほどなく分かった。
この本は人が信じてきた世界を破壊する悪魔の本である。
そして私も悪魔の洗礼を受けてしまった一人だ。
例えば「禁欲主義者」という項目を引いてみる。辞書であることは間違いないのだ。
もう何十年もひもといていないが、こんなことが書いてあったと思う。
禁欲主義者
「自分には快楽を寄せ付けまい」という強い欲望に負けた意志の弱い人
結局、誰がどこから見るか、どういう立場で表現するか。世界はそのようにできているんだなあ、と佐々木少年は得心したのだ。
臨機応変とは一本筋が通っていないということ。
一意専心とは融通がきかないということ。
見方によってはどうとでも変わるのがことばの意味。
だがことばの持つイメージに引っ張られて苦しんでいる人もいるのではないか。
一度始めたことは続けなくてはならない。
ずっと続けられなさそうだから始められない。
始めたことは続けなくてはならないと誰が決めた?
多分誰かが決めて、それがあたかも自分が決めたかのように思っている「信念」もあるだろう。
この世に変わらぬものなど何もない。
だのになぜ信念だけが変わらないなどということがあろうか。
私たちは日々信念を書き換えながら生きている。
ただ書き換えていることに気がついていないだけだ。
小学生の頃、制服を着て登校する高校生のおにいさんを見て、
「うわあ、とんでもなく難しいことを考えてるんだろうなあ」
と思った私。
中校生の頃、スーツを着て出社する会社員を見て、
「俺も大人になったら大人っぽくなってるんだろうか」
と考えた私。
40台になったいま、男子は何歳になってもランドセルを背負っている頃と基本的なところは同じであることがわかる(特定事例の一般化?)。このように年代によってある事柄に対する信念はガラリと変わるものだ。
信念は変わらない。信念は変えられない。
いやいや、私に言わせれば逆にあまりにも頻繁に書き換わるので、それが本当だと信じられないのではないか。
だからコーチがするべき質問は
「あなたは何を信じたいですか」である。
今回の私の結論。