無意識にとって “○○するな”と “○○しろ”は同じ意味。
コーチングやカウンセリングの場で知っておきたい情報である。
が、この考え方が生き死にに直結している状況がある。
それは子供という生命体との関わりにおいてだ。
妻から聞いた話。今では新一年生の長男坊Pが4歳の頃。
いつもの散歩道、いつもの横断歩道。妻が先に渡り始めると遠くに車が見えたという。
「横断歩道を渡る時は車が来ていないかしっかり見ること」
彼の慎重な性格も役に立ったのだろう。Pにはそれを徹底させ、実際Pはその通りにしていた。
Pはいつものように道の向こう側で止まっているだろう。
妻が車道を渡り終え、後ろを振り向くとさにあらず。
Pは今まさに横断歩道への第一歩を踏み出したところだったという。
自分は道のこちら側。自動車は迫っている。
危機的、かつ突発的なこの事態に妻の口から飛び出した言葉は
「車来てる! こっち来るな!」
だった。
ママの大声。その緊張した声色。そしてただならぬ雰囲気。
Pは顔をこわばらせると一目散に妻にむかって走り出した。
Pが妻の脚に飛びつくのと、Pに気づいて徐行した車がその背後を通り過ぎたのはほぼ同時だったという。
そして妻は本気の本気で叱ってしまったのだ。
「何でこっち来るなって言ってるのにあんkfg@ヶhぁ^jkのよ!」
「ごめんなさい(シュン)……」
妻の剣幕にPが言えるのはそれくらいだったろう。
その夜、事の顛末を聞かされた私。
「……でもね後でPに謝ったんだ。怒り過ぎてごめんねって」と妻。
「Pにしてみたら私がただならぬ感じで大声をかけたから、何が何やらってパニクって私のところに来ちゃったんだと思うんだ」
妻は子供たちに“悪いことをした時には謝る”というモデルをよく示してくれる(笑)
「あと言葉の使い方ね。言っちゃってからあなたに言われたこと思い出した。
“○○するな”は“○○しろ”と同じだって。咄嗟にね。難しいね」
受領は倒るる所に土を掴む。妻は失敗したあとに作戦を立てた。
その「作戦」を使う事態にならないに越したことはないのだが……。
だが、その機会が来てしまった。
またぼんやりと車道に足を踏み出すP。とそこへ妻の一喝。
「P! そこの柱につかまりなさい!」
硬い表情で歩道に立つ道路標識につかまるP。その前を徐行する車が通り過ぎる。これが妻の「作戦」であった。
賢明なる読者諸賢にはお分かりの通り、妻はPの脳みそに処理の負担をかけない、
イメージ・シンボルと論理的意味が合致した「柱につかまれ」というアウトカムを示したわけ。
おかげで長男坊の命は守られた(かも知れない)。ありがとうアウトカム志向!
今回の私の結論。