私にとって読書とは本当に大切な時間である。私が大切にしている様々な価値観が満たされる行為だ。
ウチの書籍は「二回以上の読書に堪えうるか」と言う基準で毎年末のブックオフ放出祭りをくぐり抜けた強者ぞろい。それら精鋭中の精鋭がましますところは佐々木家の心臓部、ネルフでいうところのセントラルドグマ、ラピュタで言うところの黒い石の間。それが佐々木家書庫、通称「絶対城」である。
歴史、心理、哲学、特撮などなど、ジャンルごとに仕分けられた棚。その中から今日はスポーツ、テニスの本でも読んでみるか。なになに、
「テニスコートには、無言の会話が入り乱れている。『もっと早くラケットを引いて』とか『手首をこねないで』――時には『この間抜けやろう』などという悪態まで飛び出す。
会話と言っても、相手プレーヤーと話しているわけではない。あなたの中の“だれか”が、もう一人の“だれか”をののしったり、叱ったりしているのだ。
叱っているのもあなた、叱られているのもあなた。人間の中には常に二人の自分が存在していることになる」
ばれてしまったようですな。テニスの本ではあるけれどテニスの技術書に非ず。
ティモシー・ガルウェイ著『インナーテニス 心で打つ!!』からの引用である。
このガルウェイさん、プロのテニスコーチなのだが、プレーヤーの「こころ」に焦点を当てたコーチングを始めた最初期の人であるという。ご存知の方も多かろう。
彼が提唱したのが「インナーゲーム」というもの。
テニスプレーヤーに限らず、人間には
知的・感情的部分であるセルフ1と
本能的・肉体的部分であるセルフ2が存在する。
人が何か行おうとする時、セルフ1がやいのやいの言い出す。「失敗するなよ」「苦手だなあ」「かっこよく見せてやる」「ほらまたやった」「いつもこうだ」「どんなふうに思われるだろう」。
なぜならセルフ1は、実際に行動するセルフ2のことを全く信用していないから。
このセルフ1を黙らせて、セルフ2の持っている能力を引き出させる。ざっくり言うとこれが「インナーゲーム」の骨子だ。書籍『インナーテニス』にはそのためのエクササイズやアイデアが豊富に提供されている。
セルフ1をゲシュタルト療法的に“トップ・ドッグ”と言っても、交流分析的に“コントロールする親の自我状態”と言っても、NLP的に“否定的自己内対話”と言ってもいいだろう。
自己を表現するのを心の中で邪魔するもの、それはセルフ1である。
ここまでの内容でも分かっていただけたかと思うが、このセルフ1/セルフ2の考え方はテニスだけに収まらない。実際ガルウェイさんは『インナーゴルフ』とか『インナースキー』とかも書いている。
いやいや、スポーツだけに収まるものでもないだろう。そもそもテニスプレーヤーでもない私がどうしてこの本を手に取ったのか。
それはICCのマニュアルがこの本について言及しているからだ。
今回の私の結論。